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「プロフェッショナル」の意味を追いかけて

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「プロフェッショナル」の意味を追いかけて
京都大学医学部附属病院 初期診療・救急科 医員 加藤源太

みなさま、こんにちは。2009年7月16日より初期診療・救急科の一員として採用いただきました加藤源太と申します。 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。このHPを通じてはじめてお会いする皆様に対しまして、本稿では自己紹介をさせていただきたく存じます。

私は1998年3月に京都大学医学部を卒業後、一年間を内科研修医として京大病院で過ごしました。 その後大阪赤十字病院に移り、内科レジデントとして2年間の研修を積んだのち、救急医としての活動を開始いたしました。 大阪におりましたときは日々新たな発見に満ちた楽しい医員生活を味わっておりましたが、同時に救急医療が抱える限界にもしばしば直面いたしました。 押し寄せてくる患者と限られた病院内のリソースのせめぎあい、行政サイドから持ち込まれるさまざまな要請、 果ては患者の担当診療科を決定する際の「しんどい」ネゴシエーションなど、学生のときにはまるで考えもしなかった出来事が次から次へと眼前に現れてきました。 ですが、これらの出来事が決して特定のアクターによるのではなく、あくまでも近代社会のなかの医療の成り立ちそのものによってもたらされていることを理解するのに時間はかかりませんでした。 併設型でどちらかといえばER型救急を標榜する施設に身を置き、とくにサブスペシャリティのなかった私自身、救急医療をとりまく現実に振り回されていた一方で、 これを純粋に「さまざまな問題をはらむ学際的かつ重要なテーマ」として興味を抱いてもおりました。

医師免許を取得して6年が過ぎ、大学院の門をたたく同級生も増えはじめたころ、特にサブスペシャリティがあるわけでもないのだから、 それだったらいっそのこと社会科学系の大学院に進学して救急医療をとりまく問題をもっと深く考えてみようと思いつきました。こうして2004年度より、 京都大学大学院文学研究科の博士課程に社会学専修で入学いたしました。あわせて、2007年より2008年まで、 ハーバード大学保健政策学科に客員研究員として在籍する機会も得ることができました。そして帰国後、すでに京大病院で産声をあげていた救急部の一員として、 小池教授のご厚誼により活動する機会に恵まれた次第です。

次に、現在も継続している文学部大学院での研究テーマに触れてみたいと思います。社会学において、医師は「プロフェッション」、専門職として議論されています。 専門職は、ビジネスマンとも組織の管理職とも、官僚とも異なる職業類型であります。曰く「高度な知識や技術を有する」「クライアントのニーズに応える」 「冷静かつ客観的にクライアントにふるまう」といった職業属性や倫理を備えて、クライアントにサービスを提供する存在だとされてきました。動機づけにおいても、 利潤の追求が動機になっているビジネスマン、構成員のマネージが動機の管理職、判断をともなわない任務の遂行が動機の官僚とはことなり、 専門職はクライアントのニーズを満たすことが動機だとされています。事実、第二次世界大戦以降の社会学のなかで、 こうした性質を備える専門職が好意的にとらえられてきた時期もあります。ですが一方で、1960年代以降の公民権運動の高揚とともに、 専門職の権威主義的な外観や「高度な知識や技術を備える」という専門職自身の自己アピールがほんとうに正当なものかということが問われはじめました。 「医師の権威は、高度な知識や技術を有するというだけでなく、ライセンスによって患者も含めて他者が介入できないところに自らを置き、 医業を独占していることから生まれている」というラディカルな問題提起をしたのはFreidsonです。以降、 社会学では専門職論は「いかにして自らの正当性を主張することに成功したか」に焦点をあてた議論が主流となりました。

私の問題意識は、職業としての専門職がさまざまに論じられるなかで、その役割を果たす個々の専門職者はいかにして専門職という役割を受け止め、 自らを彫琢しているのかということです。Freidsonによる批判で耳の痛い思いをしたり反発を強めたりする医師がいるかもしれませんが、この批判は職種に対してなされているもので、 担い手を直接の対象としているわけではありません。また専門職像に対する彼の認識はあくまでも静的で、専門職像とその担い手との間でダイナミズムが生じうることを想定していません。 時に模範的、時に批判的なまなざしを向けられる専門職像も、社会が築き上げたものです。それと同時に、その役割を担う専門職者によって社会に流通する「専門職像」は増幅されたり、 変容されたりもします。私はこうした専門職像に対して各々の専門職者が成長の過程で自然に行っている相互作用、つまり専門職像を受け入れたり逡巡したり、 乗り越えたり作り替えたりという営みに焦点をあてていきたく思っています。そうすることで、単に社会のなかの一職種という扱いにとどまらない動的なカテゴリーとして専門職を分析し、 さらには専門職という職種を生み出す近代、現代社会というものに対してより重層的な理解を深めていきたいと考えています。

折しも、2004年度より新しい臨床研修制度がはじまりました。専門医が専門医としての自らを再生産する医師教育から、 研修医の最初の二年間を全員ローテーションさせる教育システムへと改められました。日本における医療専門職の継承や再生産のメカニズムが現在進行形で変わりつつあります。 幸いにも救急医というわたしの出自は、医師という肩書を有しつつ、臓器別の専門分化、professionではなくspecialtyに分化する趨勢を相対的にみつめる志向を与えてくれました。 新しい臨床研修制度の目標にも親和的なこの視点をいかして、一般的な専門職像と個々の専門職者との距離はどのようなものなのか、 あるいはその距離を個々の専門職者はどう克服しているのかを追求していきたく思っています。これからも、種々ご教示いただければ幸いです。
現在、京大病院では諸先生方のご高配のもと、時には忙しさに心を奪われることがありますが、仲間と日々楽しく診療にたずさわらせていただき大変感謝しております。 特筆すべきは、京大病院のクオリティの高さです。10年ぶりの大学病院復帰に、正直、コメディカルや入退院システムがちゃんと機能しているのかどうか、不安が尽きませんでした。 ですが他科の医師も含めてみな非常にテキパキと快く、的確な仕事をしているのを見て、本当に驚きました。人も組織も気持ちが変われば変わることができるのだと、 まさに生きた教科書を見る思いがいたしました。同時に、「次は君の番だよ」とプレッシャーをかけられているようで、身の締まる思いもいたしました。たいへん長くなり恐縮ですが、 以上をもって自己紹介にかえさせていただきます。

末筆となりましたが、皆様方のますますのご発展、ご活躍をお祈り申し上げます。

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