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DMAT研修を終えて

講座だより

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● DMAT研修を終えて    医員 井手 善教

2011年1月19日~1月22日にかけ、DMAT研修に行って参りました。
DMATといっても、知らないかたもいらっしゃると思いますので、簡単に説明させていただきますと、Disaster Medical Assistance Teamの略で災害派遣対策チームのことです。 日本国内で地震やテロなどの災害が起こったとき、少しでも早く医療活動を行い、「避けられた災害死」を減らすのが大きな活動目標です。 (詳細は日本DMATホームページhttp://www.dmat.jp/を参照してください。)

京大病院は、災害拠点病院ではありませんが、DMAT指定病院であり、院内にすでに2チームあります。今回は3チーム目ということですが、救急科より佐藤先生、井手の2名、 ICUから平山看護師、CCUより篠藤看護師、あと総務課の中西さん1名の計5人に決定しました。なにぶん行くのは全く始めてのメンバー5人であり、特に申し送りもなく、 「とりあえず行ってこい!」「はい分かりました、行ってきます。」という感じで兵庫県災害医療センターに研修に向かいました。

(災害医療センター)

元々兵庫県三田市という神戸市の真上に住んでいたこと、また中学、高校が神戸であったことより、個人的に神戸は思い入れがある地であります。 三ノ宮駅についたとき、久しぶりに神戸に帰ってきたな、という懐かしい気持ちになりました。と同時に、阪神大震災の時のこと、 また尼崎脱線事故のことを思い出し、「やるぞ!」と密かに思いつつ、タクシーで災害医療センターに到着しました。

研修1日目、医師3年目にして久しぶりに朝から夕方まで講義を受けました。久しぶりに受けた講義でしたので、何とも言えないような安らぎ、 暖かさに包まれながら一番前の席で学生時代と同じように意識消失してしまいました。気づけば講義終了。その日は解散しました。

解散後、せっかく集まった京大チームで何か食べに行こう、ということになり、三ノ宮に繰り出しました。神戸といえば、多国籍料理、中華街などなど何を食べようかと真剣に考えつつ、 向かったのは食べ放題2980円の焼き肉屋。当初はあまり期待せず、とりあえずおなかを満たす目的で入ったんですが、予想を裏切るほどの旨さ。まさかこの4日間の食事で一番おいしいなど誰が予想したでしょうか。

2日目。講義メインではありましたが、実習も少しずつ増えてきました。トリアージの仕方やどこにテントを設営するなど、徐々に実践的になってきました。 トランシーバーの使い方まで学びました。テスト前日であったため、この日の夕食はホテルから徒歩5分の餃子の王将。ここでテスト勉強を行い、ホテルで熟睡。

3日目、この日はテストがあるので、朝から何となく嫌な緊張感に包まれていました。EMISという災害時に使用するHPを使ったパソコンのテスト、筆記試験、トリアージ試験、 トランシーバー使用のテストがありました。緊張しましたが何とか無事終了。ただ合格発表はなぜか懇親会場で、とのことで懇親会に直行。 全員合格ということであったため2次会まで参加し0時にホテルに帰りました。一人を置き去りにして…。

4日目。もう合格してるし、気楽やな。などと油断していました。しかし、ここからが厳しい厳しい道のりでした。朝、別の施設に移動して訓練を、 とのことでしたので訓練会場までバスで移動。到着した消防学校で、午前中訓練の打ち合わせののち、午後から実習が始まりました。

救急隊とDMATチームの合同訓練とのことで、救急隊が到着。「右向け、右!」とのかけ声の後、静閑に整列する救急隊の方々。

…あれ?訓練ってこんなのりでやるんですか??などと考えていると、「右向け、右!」の号令のもと、戸惑いながら右を向く京大DMAT。「進め!」と言われながら走る京大DMAT。え、こんな研修やったっけ??

などと心で思いながら訓練開始。閉鎖空間での医療行為がいかに大変なことを経験すべく、まずは阪急電車の下を匍匐前進することに。 6年間阪急電車で通学していましたが、阪急電車を下から見上げたのは初体験でした。阪急電車ってこんな構造してるんだ、などとのんきに見てる暇もなく、必死で匍匐前進。途中前の人に頭を蹴られました。

(阪急電車)

やりきった後、疲れる暇もなく気温2℃の中、寒さで震えながら何とか訓練をやりきりました。

(京大DMAT集合写真)
災害はもちろん起こらないことが一番いいのですが、もし起こった場合は速やかに対応出来るような体制作り、またすぐに出発できるため普段から準備や訓練が必要であると思いました。 この経験を生かし、京都市で災害が起こった場合、京大病院がどのような役割を担っていくか、について今後検討していきたいと考えております。

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