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LIVE STRONG !! ~ 淡路島ロングライド150参戦日記 ~
講座だより
● LIVE STRONG !!~ 淡路島ロングライド150参戦日記 ~
自転車部 部長 大鶴 繁

救急医療の崩壊が騒がれ久しい。
救急医であり続けること自体、多くの困難を伴うものです。
身体的にも精神的にも多くのストレスを抱え、自らのidentityを求め自問自答の日々・・・。
そこで私が常々心掛けていること、それは“まず我々医療者自身が心身ともに元気であること!”。 そのことが周りの医療スタッフを元気にし、何よりも患者さんを元気にする、そしてあわよくば社会を元気にできれば素晴らしいですねと。
そこで私がお勧めするのが、自転車競技(ロードバイク)です。何と言っても健康的、エコであることは言うまでもありませんが、 さらにその爽快感、達成感たるや今日ここ日本でも多くのファンを魅了しています。また無駄を極限まで削ぎ落とした端正なフォルムは、まさに“機能美”そのものです。
これらロードバイクの魅力一つ一つが、疲弊した救急医にとって癒しとなるばかりでなく、最高のOff the job training??となりうるのです。
ところで皆さん、ランス・アームストロングという鉄人をご存知ですか?
25歳にして自転車競技界の頂点にたったランスは、当時ツール・ド・フランス等の大レースで数々の勝利を手にしまさに無敵の選手でした。ところがそんなある日、彼はこう告げられたのです。 「あなたは癌に侵されている」と。その診断は睾丸癌であり、すでに腹部や肺、脳にまで転移している状態でした。彼の生命はまさに風前の灯だったのです。しかし、彼は決して諦めませんでした。 「自分は癌の犠牲者になるのではなく、“Live Strong”強く生きて癌の地獄からの生還者となる」と。壮絶な闘病生活の末、彼の強靭な肉体と精神力により、 彼は癌を克服するに至ったのでした。 その後ランスは自転車競技の最高峰、ツール・ド・フランスにおいて復活を果たし、連勝街道を突き進むことと成りました。 彼のその生き様は、世界中の多くの闘病患者を勇気付けることになったのです。現在、ランス・アームストロング財団では、 癌を抱えながらも“Live Strong”強く生きていくための様々な社会活動を展開しています。

さて、我々初期診療・救急科の有志5名が“LIVE STRONG”の黄色いリストバンドを腕に、サイクルイベント『淡路島ロングライド150』(2010年10月31日開催)に参加することになったのは、 2010年8月の終わりのことでした。ほぼ素人集団であるにもかかわらず、無謀にも10時間以内に淡路島を一周(150km)しようというのです。しかも参加応募時にロードバイクを未だ所有していない者が3名。 まさに前途多難!。中には十数年間お世話になったあわや博物館行きの自転車での参加を宣言する者まで・・・。
参加者は当医局より以下5名のおやじ達。3度の飯よりアミノ酸、まさにアミノ酸中毒、“アミノ大鶴”。 骨董品クラスの自転車をこよなく愛す“アンティーク鈴木”。こてこての関西人でありながら、 なぜか留学後「故郷はボストン」と言い張る“ボストン加藤”。親父たちに囲まれたあげく幼児還りしてしまった当科一の甘えん坊、 “デチュデチュ太田”。小池教授とともに学会発表で訪問して以来Italiaの虜になった、Italia万歳、“ダンディー中野”。 そしてサポートを担当してくれた、救急外来事務でお世話になっている戸上君、林君。
淡路島一周コースは、自転車乗りの間では琵琶湖一周(ビワイチ)と並び“アワイチ”として言わずと知れた有名なコース。 南淡路はアップダウンが厳しく、また海岸沿いは向かい風が行く手を阻む。約30km毎に4ヶ所のエイドステーションが設けられ、それぞれに通過制限時間が設定されている。 コースマップを眺めてみる、いやいや、素人集団にはなかなかの難コースだ。仕事の合間(?)に、本番当日までのトレーニング・メニューを考えてみる。いや待てよ、まず最初にすべきは・・・、 そう自転車を購入すること。自転車競技とは最も縁遠いボストン加藤に慌ててメールで催促。ところが、きっと忙しかったのであろう、何とも食い付きが悪い。メンバー中、 唯一の自転車経験者であるアンティーク鈴木は、長年寄り添ったmy bicycleへの一途な愛によるのであろうか、ロードバイクには見向きもしない。夫にするならこの男で間違いない。 結局、ボストン加藤がロードバイクを手にした時には、すでに大会は1ヶ月後に迫っていた。ロードバイクはいくら自転車とは言え、やはりママチャリとはわけが違う。一ヶ月で乗りこなせるのか?? 大会2週間前、さすがに不安を隠しきれず、アミノ大鶴はボストンのトレーニングに同行。あえて上りの厳しい“京見峠”に誘ってみる。平地走行は問題なし、 ところが、上りになるや否や突然失速。「吐きそう!」といきなりしゃがみこみ、立ち上がる気配なし。やはり淡路島一周は夢に終わるのか?しかし、ボストンは諦めなかった。 残り2週間の彼の努力は想像を絶するものであった。持ち前の長い手足と白い肌(?)を活かし、それに名車ピナレロが応える。
「これで何とか間に合った」、アミノはそう確信した。

大会直前、大型台風の接近により開催が危ぶまれたが、我々の日頃の誠実な診療の甲斐あってか、台風は速度を上げ通過。前日夕に淡路島入りし、 あのベッカム率いるサッカーイングランド代表が宿泊したことでも有名なウェスティンホテル淡路に宿泊だ。スタート地点に一番近いというただそれだけの理由でアポイントしたホテルであったが、 何ともゴージャスで自転車が似つかわしくない。2名ずつに別れてツインルームへ。洒落た調度品にほどよいライティング、窓からは素晴らしいオーシャンビューが・・・。 何とも素敵な部屋である。しかし、隣のベッドに寝ているのは何度覗いてもやはり“おやじ”だ。スタート時刻は6時であったが、2000名に上る参加者が同時にスタートするわけにはいかず、 会場先着順に順次スタートするとのこと。ゴールは16時までとタイムリミットがあり、少しでも早く出発し時間を稼いでおきたい我々は、ダンディー中野のイタリア土産のワインにしばし興じた後、午前3時45分にアラームをセットし入眠。
午前4時過ぎ、まだ暗闇の中ホテルを出発し会場へと急ぐ。緊張感からか皆口数が少ない。天候は曇りで、心配した冷え込みも大して気にならない。会場にはすでにロードバイクが溢れていた。 DJのアナウンスが我々を駆り立てる。準備万端、いよいよスタートだ!走行順はアミノ、アンティーク、ボストン、デチュデチュ、ダンディー。

スタート直後、未だ助走区間を走行中、“ガシャン”という鈍い金属音、まさにtraffic accidentの音ではないか?先頭を走るアミノの脳裏に不安がよぎる。振り向いたその瞬間、 何と顔を紅潮させたボストンが平謝りにあやまっているではないか、ボストンが加害者?、では被害者は??、おーアンティークの後輪泥除けが見るも無残にひん曲がっているではないか。 ボストンがアンティークにオカマを堀ったのであった。
スタート直後の悲劇、まさかおやじ達の挑戦はこれにてthe ENDなのか?
警察官が駆けつける、後続の長い列が果てしなく続く・・・。しかし、神はおやじ達をまだ見捨ててはいなかった。幸い、二人の自転車は致命的な損傷を負ってはいなかった。簡単な修理後、 気を取り直して再出発。1つ目の洲本港エイドステーション(27km地点)へ向け、ほぼフラットな道を時速約30kmで疾走。タイムリミットも楽々クリアーし勢いに乗ったところで、 “クイーン淡路”と記念撮影。もちろん、握手も忘れずに!。

次なる目標は灘エイドステーション(59km地点)。ここからいよいよ上りが始まる。ついに来たか、といった感じ。急な上りのたびにチームがばらけては峠で落ち合うことを繰り返す。 思った以上に上りはきつい。次のステーションまであと一息のところで、ここまで一人nonロードバイクで頑張ってきたアンティーク鈴木に異変が!。ふくらはぎが痙攣しペダルを踏むことができない。 もはやこれまでか?不安を抱えたまま2nd.エイドステーションに到着。重い空気が流れる。アンティーク鈴木の脚はもはや限界に達しつつあった。皆が心配する中、 それを尻目にデチュデチュ太田がステーションで振舞われた素麺を4杯ぺろり。この男ひょっとして・・・。
雨がぱらつき出した。
自転車経験者であるアンティーク鈴木は、サドルの高さを変更することにより筋肉への負荷をずらし、また上りの走行は断念しひたすら押すことにより復活。さすがである。 凛として自転車を押す姿は、まさに“威風堂々”。こんなに偉そうに自転車を押す男は見たことがない。後日談であるが、 アンティーク鈴木のレトロ自転車の重量は14kgとロードバイクの約2倍であったそうだ。ここまでくると何とも不健康な乗物だ。
南淡路の上りもやっと終わりにさしかかり、峠で記念撮影。

アミノ大鶴 「さあ、ここからは皆で並んで下りましょうか?」
全員 「了解!」
全員で隊列を組み、坂道を下る。心地よい。と、その瞬間、先頭のアミノ大鶴の横を物影が通り過ぎる。
何?今のはまさかデチュデチュ太田?あれ??並んで下りるはずでは???この男きっと・・・。
ついに慶野松原エイドステーション(96km地点)に到着。いよいよ雨が激しくなってきた。
残り時間も徐々に迫りつつある。のんびりとくつろぐ暇も場所もない。
「そろそろ、出発するか。」
あれ?デチュデチュがいない。寂しがり屋なのでそんなに遠くへ行くはずはない!方々捜すも見つからず、雨の中皆途方にくれる。その直後、ひょっこりとデチュデチュが顔を出した。
デチュデチュ 「いやー、肩を脱臼した人がいたんですよ。」
アミノ 「で、ちゃんと入ったの?」
デチュデチュ 「いんや・・・」
おいおい・・・。
一同慌てて出発。雨脚が強まる。止まっていると寒いが、走っていても寒い。心が折れそうだ。
自転車に乗っているのか?泳いでいるのか?そろそろ限界と感じた頃、最終の多賀の浜エイドステーション(115km地点)に到着。ここで振舞われた玉葱スープはまさに絶品。 冷え切った体を芯から温めてくれる。と、そのとき、おにぎりを頬張るデチュデチュの姿が。
アミノ 「それ何個め?」
デチュデチュ 「4個目です!」 この男、間違いなく・・・。
その頃、ダンディー中野の脳が徐々に寒さに蝕まれつつあることなど知る由もなかった。
何を思ったのかおもむろに青いゴミ袋をかぶり始めた。ふと見上げると、あれー?、ヘルメットも前後逆!!どうした、ダンディー。これも凍傷??イタリアンのトータルコーディネートが台無し。いや、青色は確かにItalian colorだが・・・。
前方には明石の街並が迫ってくる。そして明石海峡大橋の雄姿。さあ、いよいよラストスパートだ!残り時間が迫り来る。大きなトラブルさえ無ければ何とかなる・・・。
いつの間にか、雨も小雨に。
そして、いよいよフィナーレへ。念願の150km完走目前。
“ゴール!!!、おめでとう!!!”

湯船に何度も沈みかけるアンティーク鈴木の横顔が、すべてを物語っていた。
お疲れ様!!
そして、淡路島よ、ありがとう!!!