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バヌアツサイクロン災害・ネパール大地震災害に対する国際救援活動に参加して 

講座だより

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「バヌアツサイクロン災害・ネパール大地震災害に対する国際救援活動に参加して」

2015年3月にバヌアツ共和国を襲った大型サイクロンによる災害に対し、所属するNPO団体である災害人道医療支援会(HuMA)のメンバーとして4/1~12現地で医療支援活動を行いました。また続けて4/25にネパールで発生した大地震に対し、JICA国際緊急援助隊救助チーム医療班として4/26~5/9派遣されました。この2つの貴重な体験につきご報告させていただきます。

HuMAは国内外の災害時に医療チームを派遣する目的で2002年に設立された団体です。Humanitarian Medical Assistanceの略で「ヒューマ」と読みます。バヌアツは南太平洋のニューカレドニアやフィジーの近くに位置する島国で、農業や観光が主な産業です。今回のサイクロン災害では死者こそ少なかったものの、国民の約半数にあたる約17万人が被災し深刻な住居、食料不足に陥りました。このような災害時には外傷や感染症の流行など、健康問題の発生が危惧されます。HuMAは3/21~4/16まで、主に医師・看護師からなる医療チーム(4~5名)を順次派遣して医療支援活動を展開しました。私は第2次隊のリーダーとしての派遣でした。

診察を行う筆者(左)

 

主な活動内容は、①遠隔地における巡回診療、②首都中央病院の診療支援、③公衆衛生活動の3つでした。巡回診療ではHuMAの機動性を活かして遠隔地を足しげく回り、怪我をしたり風邪などで体調を崩した住民の診察を、ポータブルエコーなども活用しつつ行いました。9か所の村で計528人の診察を行いましたが、幸い多くは軽症の外傷もしくは呼吸器感染症で、重症や感染症の流行などはみられませんでした。首都中央病院支援では、医師のきわめて少ないバヌアツで医療の前線を担う看護師に対し、救急外来で診断や処置に対する助言を行いました。公衆衛生活動では、感染症予防のための手洗い・歯磨きなどについて指導する健康増進イベントを各地で行いました。約10日間の多岐にわたる活動を終え、無事に帰国しました。

離島での巡回診療を終え、地元スタッフの皆さんと

 

今回の活動では急性期医療のニーズは必ずしも高くありませんでしたが、元々の医療体制が十分でないバヌアツに対しHuMAが支援を行ったことは、現地の方々にとても感謝されました。バヌアツの人々はみな明るく、誰でも「Alo!」と気さくに挨拶してくれます。この美しい国が早く元のように復興されることを願っています。

健康増進イベント後、村人の皆さんと集合写真

 

続いて、記憶に新しいネパール大地震です。マグニチュード7.8の大きな地震により1400人を超える死傷者が発生し、首都カトマンズにも大きな被害が出ました。日本政府は現地政府の要請を受け、JICA(国際協力機構)を通じて国際緊急援助隊を派遣することを決定。以前から登録隊員であった私は、救助チームに帯同する医療班として派遣されることになりました。救助チームは警察庁・消防庁・海上保安庁の救助隊員等からなる都市捜索救助の専門チーム(70名)で、日本は国際格付けで「ヘビー」の認定を受けています。医療班(5名)の役割は、要救助者への医療処置もさることながら、もっと重要なのは彼ら救助隊員の健康・衛生管理です。そのための訓練をこれまで繰り返してきました。

カトマンズ・ダルバール広場の活動現場

 

空港の混乱のため予定より1日遅れて4/28に現地入りした日本チームは、さっそく首都カトマンズの有名な寺院であるダルバール広場の倒壊建物で捜索救助活動を開始しました。捜索には救助犬も投入します。医療班も現場に帯同し、要救助者発見時に備えて医療資機材を準備したり、隊員の休憩場所を確保したりします。暑い日には熱中症のリスクが高まりますし、雨が降ると足場がぬかるんで怪我をしやすくなります。医療班はその場の状況に応じて臨機応変に判断し、休憩のタイミングや飲水の必要性等について的確に助言しなければなりません。このような”救助と医療の連携”には高いコミュニケーション能力が求められます。その後、近郊のサクーという村やカトマンズ郊外の倒壊したホテルなどと場所を変えて連日活動を続けましたが、残念ながら生存者の発見には至りませんでした。

サクーでの活動の様子。手前の赤ベストが医療班。左が筆者。

 

宿泊地でも医療班の役割は非常に大きいです。活動期間の長期化に伴う隊員の体調不良(風邪や下痢など)に対応し投薬を行ったりするのはもちろん、出入り口で汚れた活動服を脱いだり手洗いをする「除染」を行なったり、業務調整員と協力しておいしい夕食をこしらえたりするのも、隊員の士気を上げるのに重要です。帰国直前には全隊員と面談し、ストレスなどメンタル面もフォローしました。幸い隊員に深刻な傷病が発生することなく、約2週間の活動を終え無事に帰国しました。

1~2階が座屈した倒壊ホテル。見えているのは3階。

 

今回初めて、日の丸を背負っての国際派遣を経験しました。最初は不安と緊張が大きかったですが、この日のために訓練してきた自分と仲間の隊員を信じて最後まで活動することが出来ました。この経験を他の隊員や今後の訓練のために活かしていきたいです。

苦楽をともにした医療班メンバー。左端が筆者。

 

最後に、大学院生の立場でありながら今回2つの大きな国際災害支援に続けて参加させてくださった、小池教授・佐藤講師はじめ医局の先生方に深く感謝を申し上げます。京大救急は臨床、研究、災害いずれも十分に打ち込める魅力的な医局です!

(文責:苛原隆之)

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