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京大DMAT活動報告 ~熊本地震災害支援~ 

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熊本地震に対する京大DMAT活動報告

平成28年4月16日から20日までの5日間、熊本地震に対して、京大DMAT(医師:下戸学先生(リーダー)、播摩裕、看護師:平松八重子看護師長、篠浦千佳副看護師長、業務調整員:中村正次医療サービス課課長)が現地で活動してきましたので、ご報告します。
4月14日午後9時26分に熊本地方を震源地とする最大震度7の地震(前震)が発生し、九州ブロックにDMAT派遣要請がありました。さらに4月16日午前1時25分にも最大震度7の地震(本震)が発生しました。午前4時50分に四国、中国、近畿ブロックにも派遣要請があり、京大では午前5時57分に災害対策本部を立ち上げました。休日でしたが、多くのDMAT隊員が参集しました。


作戦会議?


大急ぎで資機材の確認をしています。当直明けの研修医も手伝ってくれました。
私自身は今年の2月に京都DMAT養成研修を受けたばかりだったため、後方支援のつもりで参集しましたが、メンバー選考の結果、派遣メンバーとしての任を受けました。現地の状況が十分にはわかっていなかったこと、近くにある阿蘇山の噴火も予想されることなど、不安もありましたが、災害医療に貢献できるという期待のほうが大きかったです。家族の理解もあり、派遣させていただくこととなりました。


(左から)中村課長、播摩、下戸リーダー、篠浦副看護師長、平松看護師長

 

午後1時50分に京大病院を出発しましたが、当日入りは難しかったため、下関で一泊して、翌朝5時過ぎに宿泊先を出発し、参集拠点である熊本赤十字病院に向かいました。熊本県内では一般道の渋滞がひどく、活動拠点本部には午前9時28分に到着しました。道中では倒壊している建物や段差のある道路も見かけましたが、予想していたほどは建物の被害は少ないように感じました。しかし、飲食店やコンビニなどは営業していない店が多く、水をもらいに小学校に来ている人たちを見かけるなどライフラインへの影響は出ていました。また、活動拠点本部である熊本赤十字病院でも被害は出ていましたが、さすが災害拠点病院、そのような中でも多くの患者を受け入れていました。


活動拠点本部の熊本赤十字病院


建物がずれて隙間ができています(手前)。
ガラスには落ちないようガムテープが張っています(奥)。


1時25分で止まっている時計


電気は通っていましたが、エレベーターは使用禁止に。


上水の使用も制限されています。

通常の外来診療は休止中です。


トリアージエリアを作成して診療を行っていました(4月18日朝まで)。

 

すでに多くのDMAT隊が到着していましたが、待機しているチームが多い状況でした。DMAT本部では当科から尼崎総合医療センターへ行かれた鈴木崇生先生も活動されていました。


指示待ちのDMAT隊が待機しています。


DMAT本部の様子

鈴木先生は搬送チーム管理の部署で働いていました。

 

 

初日の任務は患者搬送でした。久留米大学病院(片道84km)までの転院搬送で、午前10時28分に出発しましたが、赤色灯がついていない車であったため、優先的には走れず、午後3時40分に到着しました。搬送のために荷物の大半を下し、二人(篠浦副看護師長、播摩)が熊本赤十字病院に残ったため、戻らねばならなかったのですが、午後9時前に戻ってきました。この日の宿泊先である久留米についたときには日付が変わっていました。


下戸リーダーが任務の内容を聞いています。

患者搬送へ出発前の様子


荷物を移動中にDMAT本部が2階から4階に移動。
残った2人で7往復して運びました(今回の派遣では結局ほとんど使用せず)。

DMAT本部では定期的にミーティングを開催し、DMAT隊に状況を報告。


搬送からの帰り道の様子(夜にも関わらず多くの車が走っています。)


夜になっても救急車が続々と到着(4月17日)


京大のDMAT本部の様子(この日は後方支援も夜遅くまで活動していました。)
普段は下戸リーダー、播摩も使用している部屋です。

 

 

2日目の任務は熊本赤十字病院での夜間の診療支援でした。熊本赤十字病院では14日の地震発生から普段より多くの患者が来る中、活動を続けておられました。救命救急センターの停電もあり、18日朝まではトリアージエリアを作って診療していましたが、18日からは救命救急センターでの診療が再開。ただ、連日の勤務による職員の疲労もあり、この日からDMAT隊と日赤救護班が診療支援を行うことになりました。京大DMATは午後8時からの12時間の予定だったため、午前中は久留米でしっかり休んで、夕方再び熊本赤十字病院に行き、診療を行いました。
夜間は熊本赤十字病院のスタッフに加え、DMAT隊4チーム、日赤救護班3チームが支援する形で入りました。DMAT隊の医師(7名)は主に救急搬送されてきた患者の診療を行いました。18日は日中の12時間で300名以上の患者が来ていましたが、夜間の12時間でも100名以上の患者が来院し、そのうち救急車が25台でした。今回、地震による外傷の患者はいませんでしたが、脳梗塞や脳出血などの患者が多い印象でした。また、避難所から搬送されてくる患者も多かったですが、今回の地震で話題になった車中泊をしていて具合が悪くなった患者も来ました。


熊本赤十字病院の先生から説明を受けています。


DMTA隊、日赤救護班の分担表。医師は電子カルテのIDをもらいましたが、同じシステムを使ったことのない医師もいたため、熊本赤十字病院の研修医がサポートしてくれました。

19日朝、下戸リーダーが撤退届を提出。


診療支援終了後。この後、運転手の中村課長以外は車の中で爆睡します。

 

当直明けで京都まで運転して帰るは大変でしたので、山口で1泊し、20日午後5時10分に京大病院に無事帰還しました。


稲垣病院長をはじめ、多くの方々に出迎えていただきました。

 

また、4月26日夕には院内でDMAT報告会が開かれ、リーダーの下戸先生から報告がありました。さらに報告会の後、場所を変えてインタービューがありましたが、その内容を含めて京大DMAT特集が5月の京大病院広報に掲載される予定です。

 

 

院内感染対策講習の後だったこともあり、予想よりも多くの方に聞いていただきました。


DMATの概要と今回の活動内容について報告しました。

 

短期間の活動であり、災害の一部しか見ることはできていませんが、数少ない機会(もちろん多いのはよくないですが)に現地で活動させていただいたことは個人的にも非常に良い経験となりました。一緒に現地で活動したメンバー、活動を支援していただいた皆様、そして家族には感謝しています。
また、今回の支援活動自体は大きなトラブルなく、多少の貢献はできたとは思っておりますが、京大DMATとしては反省点や課題も多く見えた活動でした。今回の経験を活かし、今後起こるかもしれない新たな災害に備えて準備し、日々研鑽も積んでいかなければならないと感じています。

最後になりましたが、この文章を書いている時点では、規模は小さくなってきましたが、まだ余震も続いており、避難生活を続けておられる方もたくさんおられると思います。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

(文責 播摩裕)

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